Vol.3/4
住宅の作り手として
経営者
中条和豊さん|株式会社高松ハウジング 代表取締役

建築業の魅力
三谷
築業は大変な仕事である反面、誇りを持って仕事をされている方もたくさんいると仰っていましたが、建築業のいい点や素晴らしい点があれば教えていただけますか。
中条
一番いいところは言い方がいいか悪いかは別として、お金をいただいて、お客さんに喜んでいただく。こんな幸せな仕事はなかなかないと思います。
三谷
普通の方は一生に一回の買い物ですから、よほどの信用がないと託せないですし、その後ずっと住み続けるものなので、願いや思いがかなりこもっていますからね。
中条
そうですね。大手のハウスメーカーなどはネームバリューがあって、ある程度安心というのはあると思うんです。ただ小さい工務店は、先ほどのお話のように、よほど信用がないとなかなか発注してくれませんので、託していただくのはありがたい話であり、仕事で返さないといけないと思います。
三谷
認めていただけるのはすごく嬉しいことですよね。
中条
そうですね。
三谷
現場でさまざまなお仕事をされていると思いますが、いろんな職種のいろんな人が現場にいて、自社の社員だけではないところで働くわけですよね。そういう人たちは、現場で初めましてというのが多いんですか?それとも、いつも同じメンバーが多いですか?
中条
私どもは、同じメンバーが多いです。昔からお付き合いがある人ですね。
三谷
そういうお付き合いがスタートするきっかけは何ですか?
中条
それもやっぱり紹介ですね。
三谷
一緒にやろうよとか、こういう会社があるよと紹介されて、馬が合うと。
中条
はい。例えば家を建てるのであれば、必要な業種はだいたい決まってます。その中で、どうしてもご高齢になって後継ぎがいない業種があった場合に、その人が信用できる人を紹介していただくか、他の業種から、こういった業種の人を誰か知らないか?ということで、やはり紹介でつながりを作っていきます。
三谷
お話を聞いていると、仕事を発注していただくのもそうですし、仕事をしていく仲間もそうですが、つながりがすごく大事な仕事だという感じがします。
中条
やはり家を作っていきますので、ある程度、この人はどういう人間か、どういう仕事をするかというのを把握しておかないといけないと思うんです。そうなると、初めましてではその人がどんな仕事をするのか、安心して任せられるのかどうかが分からないので、長いつきあいの中で『この人なら安心して任せられる』という職人さんや業者を集めています。それで安心できるようであれば、そこにずっと発注します。
三谷
お客様はいろんなことを信用して発注していただいていますから、信用に足る人を集めて家を作らないといけないですね。
中条
はい。現場でも、全部の業種を隅々まで100%見られるかというと、やはり目が届かないところがあります。なので、あの人だったら間違いないという信用できる業者を集めることが絶対必要になってきます。
三谷
お客様はずっと自分の家を見ているわけではないので、誰も見てないところでお仕事をする時もあると思うんですね。土に隠れたり、壁に隠れたりするところもたくさんあるので、仕事に対する誇りや良心が非常に高くないといけないと思うんですが、そういうマインドの高い人たちばかりがだんだん残っていく、集まっていく感じですか?
中条
人選びというのはなかなか難しいところがありますが、やはり、いい仕事をしてくれる人は、同じようにいい仕事をしてくれる人を引っ張ってきます。あとは、最初から値段のことばかり言う業者とは取引しないですね。仕事をしてナンボですので、少々高くても、安心できる仕事をしてくれるところに発注しようと考えています。
異業種から飛び込んだ建築の世界
三谷
これまでいろんな仕事についてお話を聞いてきましたが、今度は中条社長にフォーカスして質問させていただこうと思います。会社はおじいさ様の代からとおっしゃっていましたが、この建築の仕事に就いたきっかけというか、この仕事でやっていくんだと意識し始めたのはいつ頃ですか?
中条
結婚が大きなきっかけだと思います。ただ子どもの頃から、住宅の広告の間取りを見たりするのが非常に好きでした。
三谷
それは、小さい頃から家でおじいさんやお父さんの仕事をしているのを見ていたからですか?
中条
そうですね、職人として仕事をしていましたので。ただ、じゃあ最初から建築業界を志して、この業界で仕事をしようとは、正直なところ思っていませんでした。考え出したのは結婚してからの、25、26歳くらいですね。
三谷
そうなんですか!そうすると、あまり建築を知らない方もこの業界に飛び込んでくるとおっしゃっていましたが、中条社長もそういう感じだったんですか?
中条
そうです。建築関係の学校も出てませんし、資格は仕事を始めてから取りました。
三谷
ではこの業界に入って初めて、いろんなものを知って、ああ、こういう仕事なんだとか、親父の仕事はこんな仕事だったのか、と分かった感じですか。
中条
初めてわかりましたね、仕事の大変さを。最初の3年間は現場ばかりでずっと仕事をしたんですが、「ああ、こんなえらい目にあいながら仕事をしてくれていたんだ」とわかりました。
三谷
ずっと建築を志して、物心ついた頃から建築を目指して、そういう学校に進んでいたのかと思っていました。
中条
そうではないです。ただ、ものづくりは好きでしたね。子どもの頃はプラモデルをたくさん作っていました。
三谷
もの作りに対する夢があったんですね。
中条
どうなんでしょう(笑)小さいなりに作ってみるんですが、できないところがあれば父親に作ってもらって、父親はそれをきれいに完成させるんです。それを見て、やっぱりすごいなと思っていました。
三谷
なるほど。現在までに至るお仕事の経緯というのは、建築に関わる前は全然違う業種の仕事をしていたそうですが、差し支えなければ、どんな仕事だったか教えてください。
中条
地元の、久本という会社に勤めていました。ご存じだと思いますが、久本酒店ってありますよね。あそこなんです。入る時は酒の業界の仕事をしたいとか、お店を持ちたいというイメージはまったくなくて、就職活動をする中で、そこに勤める知人から「尊敬する社長がいるから、一回会うだけ会ってみないか」と言われたのがきっかけでした。それから何度も会っていくうちに社長に惹かれて、この人の下で仕事をしたいと思って入社しました。入社した理由はそれだけです。そこで何年か勤めました。
三谷
当時はルートセールスみたいな仕事をしていたんですか?
中条
結構いろいろなことをやらせてもらいました。当時はバブルの最後の方で、すごく勢いのあった時期だったんです。仕事は、業務用卸と言って、街中の飲食店に卸す業種と、ちょうど専門店からディスカウントショップに移り変わる時期だったんですが、この時期の店舗販売の表のマネージャーと、裏方のマネージャーを任されていました。そこでバイヤーであるとか、店舗運営であるとか、あと経理もやらせてもらいましたし、人事関係にも携わらせていただきましたね。多種多様なことを経験させてくれる会社だったので、非常に魅力がありました。
三谷
すごいですね!今でもその経験は生きていますか?
中条
そうですね。それが仕事に対する考え方の原点です。そこで厳しい仕事をやってこれたから、たぶん今もやれてるのかなと思いますね。当然、社長にも非常に影響を受けました。
三谷
若い頃にいい出会いがあったんですね。
中条
一番最初にどんな会社に入るかによって、たぶん大きく変わると思うんです。バブルの後半で、仕事量も半端じゃなかったので、繁忙期になると毎日午前様ということもよくありました(笑)それでも仲間と一緒に盛り上げてやっていましたし、休みが多くないと駄目だとか、給料が多くないと駄目だとか、そういう感覚は一切なかったですね。
三谷
夢やロマンがあって、みんなと楽しく仕事ができたんですね。
中条
週休2日の時代ではなかったので、土曜日も夜中まで仕事をして、そこから寝ずに同僚と車で岡山や広島へスキーに行って、滑って、夜中に帰って月曜にまた仕事をしたり・・・。
三谷
仕事も遊びも楽しくできるのが一番ですよね。尊敬する社長さんやお父さんからも影響を受けたと思いますが、中条社長が職業人として大切にしている考え方やこれは守ろうとか、理念や志などを教えていただけますか?
中条
常日頃、これだけは間違わないでおこうと思っているのは、『損か得かという判断ではなく、いいか悪いかで判断する』ということです。やはり損得勘定だけで動くと、そういう人が集まってきますし。家を建てるとなると、見えないところが結構あります。そこを損得だけで施工してしまうと、後々非常に問題が出てくるんですね。自分が家を持つなら、ここはどうしたらいいかという判断基準で物事を考えるようにしています。
三谷
それはお客様も一番安心ですよね。
中条
そこを間違えると、たぶん、崩れるように信用がなくなると思いますので。
三谷
やはりご商売ですから当然、利益をあげなければならないという前提がありますが、そちらに偏るとおかしな方向に行くというのは、私自身も経営していて感じます。
次回はいよいよ最終章。苦しかった想いや、そこを乗り越えたからこそ見えてくる今後の展望を伺いました。お楽しみに!
取材・文:藤井まどか|株式会社プラザセレクト
GUEST PROFILE

中条和豊|経営者|株式会社高松ハウジング
昭和45年、香川県生まれ。地元の酒店に就職し、営業や社会人としての基礎スキルを学んだ後、祖父の代から続く実家の「株式会社高松ハウジング」に勤務する。自身も職人として現場に出つつ、平成9年からは取締役として経営にも従事するように。代表取締役に就任した今でも変わらず現場の様子を見に行くなど、「現場の大切さ」を忘れない経営に徹している。